(土)退院

■無事に退院。

荷物が重くて、精神的にもあまり良くなく、アニメゆるゆりを観て気を紛らわすも、頭痛が酷く、LINEでは患者仲間の田山さんのネガティブ発言連発に、流石に苛立って、腹を割って話すも、田山さんは恐らく、同調してほしいだけで、自分で自分を正す気持ちが微塵もなく、「彼氏に依存したい、寂しい、怖い」の一点張り。50代の女性だと言うのに…もう反面教師状態。金田さんも呆れ気味。20代のわたしにうだうだ言われても気分は良くないだろうし、もう金田さんに任せるしかないと思う、挙句の果てに「誰か私をなんとかして!」と来たものだから、わたしも匙を投げた。ゆるゆりが面白くて、自由の身になって、久々に自分だけの、素敵な時間〜だとか思ってたのに、しょんぼり。暫く距離を置くか。17日は3人揃ってカラオケの約束があるし、それまでに波風立たせるのも嫌だ。ストレッサーにならない程度に、わたしは、わたし。田山さんは、田山さん。負のオーラに引っ張られないよう、努める。わたしは元々波長が合うひとが少数に限られていて、知人程度ならたくさんいるほうだけれど、心から友人と思えるひとは極僅か。愛想は良い方らしく、「人好きだよね」と言われることも多いけど、頑丈なバリケードは常に張っていて、ペースを乱すのも乱されるのも嫌だ。時折、普段、蓋をしてる孤独感に支配されて、調子を崩すのは「距離感」という言葉に、ある意味、強迫的になっている所為かもしれない。1歩引いて、2歩引いて、としてるうちに、ひとりぼっちになるのが怖いのかもしれない。わたしの心にも、田山さんの「誰かに依存したい、寂しい、怖い」があって、それを惨めだと、プライドが許さないだけで、それを簡単に他人に向けて発信してしまう田山さんに嫉妬して立腹しているのかもしれない。日記を書いたら、少し肩の荷が下りた。やはり考え込むより、ここの、誰にも教えていない、でももしかしたら誰かが読むかもしれない場所に吐き出すのはしょうに合ってるのだと思う。ノートに書いてもいいし、たまにはそんな時もあるけど、紙面だと読み返すたび、漢字が書けていないだとか字が汚いだとかで燃やしたくなってしまう。ブログなら、漢字は変換出来るし、フォントが一定だから字が汚いだとか煩わしく考えずに済む。公開設定を特に制限していないのは、誰が読むかも分からないからと、文章を書くのにモチベーションが上がる。今日は、ブログを書き始めて良かったと思えた、田山さんに感謝しなくては、とも。頭を整理するきっかけはどうであれ、ぐちゃぐちゃだった思考が纏まって良かったです。

 

おわり

(金)あした

■明日は、退院日。意気込みなどを書こうと思っていたのに、腐女子のつづ井さんを読んでいたら、ひたすらアニメだけ観続けたい、しか、思い浮かばなくなった。(漫画も読みたい)そして、なんだか和んでしまって、文章を書く気力と、集中力がフニャフニャになっている。13日は自立支援の更新日。14日は外来。17日は金田さんと田山さん(患者仲間)と3人でカラオケ兼お泊まり会。27日は元カレの誕生日、29日、マイバースデイ。11月、手帳に書くことが、わりと多かったりして、訪看もまた始まるし、少しワクワクしている。金銭面で開放的になり過ぎずに、節制して、楽しみたい。帰宅して通帳記帳するのが、怖い。弾け過ぎないようにする、それを、目標にしてみます。

(木)書き忘れ

■とうとう1日日記を書き忘れた。しかも、書いたつもりになっていて、しかし、それは夢だった。

木曜に起きたこと、別の病棟の患者さん2人、60代のおいたんと30代の墨さんと、スーパーの喫煙所で知り合い、おいたんに、barを経営するからそこのホールで働かないか、と、スカウトされる、もちろん断酒中なので、断る。墨さんは大麻中毒で、裁判に負けた為に20万の罰金を払わねばならないらしく、おいたんがその20万を肩代わりする代わりに、barの店長をやるのだそう。わたしが断った後も、何度か「働いてよ」と言われるが、延々Noという。疲れた。

病棟でドクターに、ココアをご馳走になり、アルコール依存症や断酒会、精神薬について話し合う。わたしは、情報処理能力がかなり低いらしい、だから円滑に生活するにはストラテラを増量し、情報量の少ない場を作ること、認知行動療法を行うこと、が、必要だと言っていた。土曜日に退院する際はドクターはお休みで立ち会えないそうなので、いつもより長らく話した。「おだいじに」とニッコリ手を振ってそのまま、会えないひとになった。

昨日は、それぐらいしか出来事がなかったので、だから日記を忘れたのかな。後で今日のぶんを書きます。

 

では。

(水)雨

断酒会へ行くと書いたけれど、正式には、アルコール依存症のグループセラピーだった。ぶっちゃけ、宗教的な要素が強く、(お祈りもある。)「団結」という言葉すら避けてきたわたしには、皆で輪になって、テーマに沿って話したり、励ましあったりというのは、苦手分野で、いよいよ、わたしが話す順番が来ても、しどろもどろで、何を話したかも、話し終えた地点からもう、記憶は吹き飛んでいた。自分の生い立ちから話し始めるひともいるし、簡潔なひともいるし、単なる言い訳か不幸自慢にしか聞こえんひともいて、様々。話が長いひとの番のとき、苦痛。ただでさえ聞き上手ではないし、頷くのもみんなしないで、ただ聞いてるだけで、もちろん口を挟むなんて、ご法度のようだし、かと言って話上手でもないし、で、1時間半が過ぎてセラピーは終了。疲れた。これって、いずれ、慣れるのか?

■雨が降って滅入る。大したことではないけど、グループセラピーの帰り、傘を持ってない(持つのも嫌い)、フードの付いたコートを着てたので、被って歩く。低気圧で、偏頭痛。カロナールを外泊時の頓服的に持たせてもらうのを忘れたことに、後悔。しかもグループセラピーが思いのほか気疲れして、異様な眠気と怠さも、相まって辛い。歩くにつれ、テンションが定まらず何故か真っ先に帰宅せずに、デパートで手帳と財布を新調した。疲労ハイ?よくわからない。ダイソーにも寄ってペンケースを買って、いよいよ帰宅。14時ごろだった。15時まで、アラームを掛けて仮眠。16時に間に合うよう、電車で病棟へ戻り、おそ松さんを観て、夕飯の時間。またクソ硬いブリ。箸でほぐせない、刺せない、それくらい硬い。ブリのときだけやけに硬いんだ、なんでなんだろう…。青臭いし。他の魚のときはとても美味しいのに。

いま、21時16分、あともう少しで眠剤が飲める。眠剤がじんわり効いてきて、ぽわぽわする感覚が、すごく好き。

(火)ココロ

■今日から自宅へ、一泊二日。明日の朝方10時に断酒会の見学へ行く為。

偶然、地元(地名は伏せる)から都内、しかも近場に来ている友人のエッちゃん(仮名)と、タイミングに恵まれ、我が家で、会うことに。

支度や移動で、1時間ほど掛かると言うので、わたしは、おニューの、ノーパソに諸々ソフトをダウンロードしつつ、田山さん(仮名)と金田さん(仮名)のグループLINEで、統合失調の病状から、被害妄想の炸裂している田山さんを、金田さんと、どうしたものかとアドバイスを出し合い、朝に食べてから昼を食べてなかったので、病棟では絶対に出ないであろうもので、好物…と、考えて洋食屋さんに、ひとり、オムライスを食べに行った。オムライスには拘りがあって、タマゴでしっかり包まれ、デミグラスソースでなくケチャップの掛かった、家庭的なオムライス…、小洒落た風は嫌い。運良く、その洋食屋さんは、トロトロタマゴのやデミグラスソースのやつの端に追いやられ全く目立たないところにわたしの理想のオムライスの食品サンプルが、ディスプレイされていて、小洒落たのより数百円も安く、それを食べることにした。店内はカントリー調で、可愛らしい三つ編みをした女性が赤と白のフリフリしたチェックのエプロンで席へと案内してくれて、お冷を頼んだら、コップに大きなボトルで注いで、そのボトルごと置いていってくださる素晴らしいサービスだった。注文してからオムライスが来るまでも早くて、でも味はやはり家庭的で好みだし、鶏肉とベーコンが入っていたのも、嬉しかった。

店を出た頃には、エッちゃんを迎えにいく丁度良い時間で、そのまま、駅で落ち合い、ダイソーで日用品を買って、部屋に着くなり、マシンガントーク。息が切れるほど笑いこけて、各々の目標や、なりたい自分のビジョンについてなど、真面目な話もして、あっという間に、夜になり、(落ち合ったのは16時ごろ)エッちゃんを見送って、またグループLINEをみたら、やっぱりまだまだ田山さんは絶不調。金田さんは半ば呆れてしまっているし、こんなでも一応、ひとが困ったりしていると、弱々しくも正義感というのが芽生えるもので、頭を捻って、文章や様々な対処法を、メッセージにして、子犬の「無理しないでね」と吹き出しに書いてあるスタンプを押して、田山さんが落ち着いてくれるように、と、いまも、考えている。

関わって、親しき仲になったひとに、優しくありたいと思う。わたしも弱いからだ。弱いし、すぐめげるし、傷つくし、人間は、未知で、まどろっこしいし、めんどくさいし、当てずっぽうだけど、たまに振り回されるのも、これは、優しいのと違くて、思考をシェアすることにスリルと好奇心を覚えるのだ。それと交互ににこやかに優しくも、したかったり。他人に厳しくしたって、心地の良いものではないから、防衛、反射的本能で勝手にお人好しになっているだけ。

みんな、道に迷っている、わたしも、昨日も今日も明日も、直視できないくらい、暗い暗い道筋のなか、目を凝らして光を探している。悩むのが好きなだけかもしれない。

 

おわり

(月)ひらくひ

■記憶は、バラバラ。

1.良かったことは、明日から又一泊二日の外泊が出来ること、8日にアルコール依存症者たちのグループセラピーに参加するの、10時集合なので、(最寄りの公民館、開催。)明日7日には自室で早々と眠り、起きなくちゃ。病棟からだと距離的に間に合わん。

それから、新参患者、1個年下のサッチ(仮名)と元々わたしから告白しちゃったりもして、照れくさい関係にあるリュウさん(仮名)と、3人でのお喋りが楽しかったこと。統合失調のグチャくん(仮名)とも一言くらいだが、久々に言葉を、交わす。グチャくんは被害妄想からわたしのわるくちをリュウさんにねちっこく言っておいて、急に「犬子ちゃん、だいすき」とか笑いかけてくるイミフな奴、わたしは、グチャくんが、気に食わない。だから、会話は、しない。

サッチが、「わたし、犬子ちゃんみたいに、なりないなあ…」と言った。サッチにはわたしが可愛く見えている。それは、どうかしていると思う。わたしはただ、幸い目がぱっちりとしているが、それを引いては、超えられるかギリセーフの低いひくいハードルすら、やっとの、おぼつかない顔面、不安定な顔面なんだ。運が良かったのはカメラを通すとわたしは本当に可愛く見違える。それを活かして、チャットレディなんかで、割かし人気だったりしたことも。まあ、会話が難儀だし、頭を捻るより、ディルドを使った擬似フェラチオやイッた振りをするのは、なんとなく楽だと感じたから、即脱ぎ出来るのでただの都合の良い下劣な人気の取り方だったって可能性のが、大きい。

途中から、人として扱われたいし、難しくても寂しくしないで、わたしを知って、と、感情が変化した頃には、もう手遅れで、常連は10人かそれ以上、みんな、みんな、挨拶を交わした二言目から、わたしのおっぱいとまんこにギラギラしてるんだ。    もっと慎重に裸になってれば、虚しい身体にならずに済んだかも。 なんて。

 

2.悪かったこと、MRIの結果が出た、小脳が萎縮していた、知能検査の結果が出た、やはりADHDは変わらず。IQは61だったのが50台にまで落ちて、軽度の知的障害は、やはり確定だった。カタワだ、わたしはカタワだ、目に見えない障害だから、ニコニコしてればいい、純粋と思われるから。むすっとしたり、棘をチラつかせてしまったら、カタワの上に、孤立して、世界の隅にもいられない。でもわたしはニコニコしてるとき、なんにも考えてない、思考は停止していて、心は能面のようだ。サナトリウム、植物になりたい、弾けてシュワシュワ溶けて、細かく飛び散ってしまいたい、苦しくっても、泣かずに死ねたら、いい。わかっていても、真意を突かれるのは、厳しい、現実との関係性は、いつも、なあなあで、聞こえないから、分からない。言葉がないと、わたしには、混乱しか残らない。

 

焦っては、だめ、あすは、晴れ。

(日)駄々

昨夜は、深夜1時頃まで元カレとゲームをしたり、ペットのうさぎの話、座間市9人殺し白石容疑者の話、YouTuberやその他配信者で完全にイタイ人らの話などをして、滝沢カレンの滅茶苦茶なナレーションをまとめた動画を観てふたりで笑ったりしていた。特に、我々、プロファイリングやサイコパスシリアルキラースプラッター、グロに、滅法弱い、目が無いからして、今回の座間市9人殺しについては、長らくの間、語らっていました。元カレんちには、テレビが在るから、やっぱり、わたしより情報を持っていて、狡いと感じた。ネトサフで掻き集めるよりリアルタイムは、強。

 

わたしは今朝10時ごろ、アラームが鳴るより先に起きて、台所で換気扇を回してタバコを吸っていた。なるべく物音を立てないように、と、思っていたのに(彼はまだ寝ていたので)11時、少し回った辺りに「ピンポーン」とチャイムが。わたしはトイレで用を足してたから、トイレのなかから大きく「ちょっと待ってくださーい!」と、言わなくてはならず、水を流して、せかせかドアを開けたら、昨日Amazonで注文したノーパソが代引きで届いた様子。気分が高ぶった。

結局、ネットに繋がるまで二時間くらい、悪戦苦闘した。元カレは、チャイムにも、わたしの声にも、何の反応もせず、「ネット繋がらないよ〜」と、わざと起こすような独り言を言ったりして、12時をだいぶ過ぎたときに、15時には電車で病院へ戻り、また、窮屈な生活が待っていて、今のうちに元カレに優しく、構ってもらっておかないと!と、焦った。声をかけると、んー、と子どもみたいに起きた。

ネットは無事、元カレの助言通りに従うと繋がり、礼を言った。

 

病棟へ戻り、夕飯を食べて、病室に戻って映画「子宮に沈める」をNetflixで、観た。実際に大阪で起きた母親の育児放棄により、二児が死亡した事件が題材らしい。そんなことは知らずに先入観なしに観た。映画と言うにはもの足らんし、ドキュメンタリーにしてはチンケだし、「こころをえがく」のが下手くそ過ぎて、情報のみを受信するだけで、親に感情移入できん、子どものみのシーンもカット多すぎて「哀れみ」を持ってしまう前にまたカットの繰り返し。疲れちゃうよ、見応えないのに。唯一グッときたシーンは長女が真っ暗な部屋でもう動かなくなった弟にバースデーソングを歌う、テレビがついているが砂嵐。それを真上から映しているシーンのみ。あとは、ズバリ駄作。ざんねん。

 

早く退院したい